
大山裕 再生の軌跡
45歳、知名度ゼロからの再起。
「それでも、生きてきた人へ」
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【年表・要約】
- 1980:長野県飯田市に生まれる
- 2000:父の言葉を契機に音楽で生きる決意
- 2003:上京、路上ライブ中心に活動
- 2004:ヤマハ主催コンテストでグランプリ/1st「一期一会」手売り1500枚完売
- 2008:メジャー準備が頓挫(契約面での合意に至らず白紙)
- 2009–2012:岡山で年間600ステージ規模/Super GT開幕戦で国歌独唱(4年連続)/寄付活動を継続
- 2015:飯田市民文化会館ソロコンサート
- 2016:映画主題歌担当
- 2018:俳優活動本格化(エキストラ100本以上から開始)
- 2019:音楽事業会社で代表経験/寄付連動イベント運営
- 2023:活動休止(人生2度目の転機)
- 2026:活動再開/「LIFE 〜守るべきもの〜」配信
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【第1章:原風景と、音楽への目覚め】
1980年11月6日、長野県飯田市に生まれる。
「心がゆたかになるように」との願いから、裕と命名。
父の趣味がクラシック鑑賞であった影響により、幼少期からクラシック音楽に触れる環境で育つ。
小学生時代はブラスバンドに所属(アルトホルン担当)。
合唱では指揮者を務める。卒業文集には「音楽家」「バンドのバック」と記す。
中学ではバスケットボール部に所属するも万年ベンチ。
家庭では歌うことが日常で、兄とCHAGE and ASKAを歌う際は常にハモリ担当だった。
高校時代はテニス部。歌に強い苦手意識があり、カラオケは長年断り続けていた。
高校3年時、友人に誘われて初めてカラオケに参加し、周囲から褒められたことで自信が芽生える。学園祭で歌い、プチ有名人に。
1998年(18歳)、北里大学入学。
部活動でバンドを始め、音楽との距離が急速に縮まる。
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【第2章:覚悟と上京、そして目前で潰えた夢】
2000年(20歳)、人生最大の転機。
帰省中、父から言われた一言。 「一度きりの人生、選べる環境にあるのにもったいない。本当にやりたいことを真剣に考え直せ」
この言葉をきっかけに、シンガーソングライターを目指す決意を固める。
アルバイトで上京資金を貯めながら、ギター/ピアノ/DTM/作詞/作曲/編曲をほぼ独学で学ぶ。
2003年4月、上京。昼はスポーツクラブ受付、夜は居酒屋。週末は路上ライブ。 食費9,000円、家賃26,000円(風呂なし)。子ども用プールを風呂代わりに使用しながら、歌い続けた。
2004年、ヤマハ主催コンテストで自作曲「カプチーノ」がグランプリ受賞。 デビューアルバム「一期一会」を手売りで1500枚完売。
2008年、メジャーデビューの話が持ち上がる。活動で得たすべてを投じて準備を進めるも、契約面での合意に至らず白紙。夢が目前で閉ざされる経験となる。
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【第3章:献身と消耗の日々】
2009年、岡山県のIT企業の支援により音楽事業部が設立。社員兼専属歌手として入社。
2010年から岡山を拠点に、年間600ステージ以上に出演。Super GT開幕戦にて国歌独唱(4年連続)。アルバム「幸せになろう」「希望の光」を発売し、売上の一部を公益財団法人ゴールドリボン・ネットワークへ寄付。
2015年、故郷・長野県飯田市民文化会館にてソロコンサート開催。
2016年、映画「2085年恋愛消滅」主題歌担当。
2018年、俳優活動を本格化。100本以上のエキストラ出演から積み上げた。
2019年、音楽事業会社の代表を務めるも、平均睡眠3時間の生活を2年以上続け、力が及ばず退社。
2023年、活動休止。深夜のアルバイト、別業種を経験。 20年以上続けた音楽から離れて初めて気づいた。 「自分の人生には、歌が必要だ」
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【第4章:45歳からの再起。「それでも、生きてきた人へ」】
2025年、活動再開に向けた基盤づくり。ダンスレッスンで表現力を強化。
俳優活動に備え、1年で身長を177.6cmから180cmへ伸ばす挑戦をし、達成。
2026年、45歳で活動を再起。 8年ぶりの新曲「LIFE 〜守るべきもの〜」配信リリース。
人生伴走型シンガーソングライターとして、新たな歩みを開始する。